昨今、ネット右翼という呼称があるらしい。しかし誰一人として、ネット右翼を定義していないのは何故だろうか? イメージとしてのネット右翼が先行し、その背景は考えられていないのが不思議である。
そもそも右翼・左翼という分類からして、西洋政治学の用語に過ぎない。日本の政治学が輸入学問であり続ける悲しさがあるわけだが、ここでは蛇足だろう。問題は、右翼・左翼が西洋政治の中から生まれた言葉ということだ。
そして西洋における左翼は、第一・第二インターナショナルの社会民主主義、第三インターナショナル(コミンテルン)の共産主義に分類される。前者は、社会民主主義を掲げ、軍隊と集団的自衛権を肯定し、現在のEUを築いた。一方、後者は、共産主義を掲げ、米ソ冷戦時代の東側諸国を支配した。
こうしてみると日本の左翼が西洋の左翼と異なることが、わかるだろう。日本の左翼は、軍隊と集団的自衛権を否定するのであり、EUの集団的安全保障を構築するには至らないのは自明なのである。すなわち日本の左翼は、その主義・思想から、安全保障という意味において、アジア版EUを否定せざるを得ないのである。
さてネット右翼という呼称は、日本の左翼が使い始めた言葉である。つまり軍隊と集団的自衛権を否定する日本の左翼が、軍隊と集団的自衛権を肯定する者を、ネット右翼と呼んだのである。ネット右翼と呼ばれる者に西洋の左翼的な者が少なくないことを考えると、おそらくこの定義は正しいのではないだろうか?
独自路線を貫いてきた日本の左翼が、気に入らない者をネット右翼とレッテルを貼っているだけのように思うのだ。そして、そんな日本の左翼からすると、西洋には共産主義者と右翼しかいないということになると思うのだが、日本の左翼はそこのところをどう考えているのだろうか?
もともと日本の右翼には、隠れアカと揶揄された天皇制社会主義を掲げる一派も存在したのである。誰でも彼でもネット右翼呼ばわりしていると、日本の左翼は、ただのキチガイになってしまいかねないように思う。
以上は、軍隊と集団的自衛権を肯定する西洋的左翼にシンパシーを感じる者の戯言に過ぎないことを付け加えておく。