マスコミのオタクバッシングの先鋒こと
大谷氏は、やはりオタクを批判している。
まとめサイトまである。
一方で、
歯車党さんは「犯罪を犯すかどうかは個人の資質によるものが大きい。少し考えればわかることを、大谷昭宏をはじめとする一部のマスコミはわかっていない」という。
このズレを、一言で言えば、オタク理解の知識ギャップだろう。例えば、一昔前は、ゲームやアニメが好きというだけでオタクだった。ところが今や、FFやDQ、宮崎アニメや押井アニメならオタクではなく一般人だ。攻殻機動隊の原作者の士郎正宗は、オタク漫画の代表格だったにも関わらずである。
女児誘拐殺人事件において、マスコミによるオタク批判があり、一方でオタクによるオタク擁護があるのは、こうした理由があるのではないか? だからこそオタクの類型を少し考えてみようと思う。
(1)フィギュアに萌えるオタクとは何か?
オタクだからフィギュアに萌えるわけではない。フィギュアに萌えるからオタクと呼ばれるのである。つまりオタクと言えども、フィギュアに辿り付くまでの道程があるはずなのだ。
まずフィギュアには、アニメやゲームのキャラのものと、写実的なリアルな人間を指向したものとがある。これらを考えるとオタクは次のタイプに分類できる。
①ゲームやアニメのキャラから、フィギュアへ
②ぬいぐるみや人形から、フィギュアへ
③人間への関心から、フィギュアへ
要するに、オタクがフィギュアに何故萌えるようになったのかという話である。これらを考えるならば、女児誘拐殺人事件の容疑者がロリコンだったという報道を踏まえれば、③のタイプのオタクだったということになる。
しかしオタクにしてみれば、③はオタクではないと言いたいのではないか? ロリコンは、オタクではなく、アブノーマルなセックス嗜好であって、SMなどの類いだと言いたいのではないか? 少なくとも一昔前であれば、オタクとは言われないはずだ。
(2)オタクと性的倒錯
オタクを擁護するならば、①のタイプの場合、人間とキャラの区別はついているはずだ。フィギュアにしても、グッズが欲しいことから等身大のキャラと一緒にいたいというものまで様々だろうけれど、やっぱりキャラ好きの範囲内でしかないだろう。もっともフィギュアに触れることで、気付かなかった性的倒錯が触発されてという可能性は否定できないが、これはオタクではなく、性的嗜好の問題となる。
女児誘拐殺人事件にしても、ロリコンであってそれ以上ではない。容疑者は、ロリコンであるとともにフィギュアが好きだったというだけだ。もし教訓があるとするならば、ロリコンビデオを収集しているオタクは非常に危険だということだろう。
そこで提案だが、ガンダムが好きなオタクを「ガンオタ」と言うそうだが、ロリコンのオタクを「ロリオタ」と呼んだらどうだろうか? いやこれだとアニメやゲームだけで留まっているオタクが可哀想か。ロリコンかつリアル嗜好であるわけだから「ロリアル」の方が、より制限できるだろうか?
それにしても、エリートと性的倒錯は昔から良く言われている。しかしこうした事件がおきた場合、常にオタクが前面に出てきて、エリートが何も言われないのは何故なのだろうか? エリートは社会的に保護された環境で、自身の性的倒錯を満足させているから事件化することは無いというのだろうか?